もっと高い所に飛びたいな! もっと高く飛びたいな!高く飛べるエネルギーはどこからですか

最近の記事
メタルマックス3
09/21 04:20
プレイ動画
03/28 11:05
ツカレタ
03/27 15:34
久しぶりに何か近況報…
03/26 13:29
あなたが行動しないと…
03/25 11:05
最近のコメント
女性が自己主張をしや…
女の性欲 05/11 13:54
今流行のボーイズラブ…
ボーイズラブ 05/10 13:03
まったく新しい即逢い…
即逢い 05/08 13:41
即会いOK!出会いが…
即会い 05/07 13:47
今は面倒な恋人よりも…
ヤリ友 05/06 15:13
最近のトラックバック

メタルマックス3

タイトルを見てわかった貴方は良いドラムカンですねむかーmコミュしむかーし、このゲームがファミコンで爆発的にブレイクしたんですよそりゃぁもぅ、個人的にはドラクエやFFと同じぐらいにハマりましたどんなゲームって戦車でバンバンですよえ意味がわからないんなんて言えばいいか、当時流行ってた北斗の拳みたいな退廃しグリーた世界で戦車に乗ってMobを狩っていくRPGですそこらのファンタジー物語と違ってセリフもすごけりゃ全滅でもしたら、蘇生なんて、怪しい博士が電撃でバリバリですよウォンテッドもいて、戦車のモバゲー種類も多くて、良いゲームでしたでメタルマックス3とやらがDSで発売されてるじゃありませんかだけど、サンタさんがくれたのはPSPだったので出来ません、ェウゥいか、相方に内緒でDS買ってやろうかなそれはそうと2週間ほど前に金魚すくいでGETした金魚が虫籠の水槽もどきから、60センチ水槽に移動して、地蔵様や鳥居の置物や水草に、ヤマトヌマエビやドジョウに、たんちょうなんていう金魚まで増えて、えらいことになってもぅた、いか、金魚の写真もUPしよう、アスガルド、やる時間がありそうで中々狩りにすらいけん、とりあえず、放置だけ最近やってみた、ェウゥ
日記 | 投稿者 ヨシチャン 04:20 | コメント(22) | トラックバック(0)

プレイ動画

つい最近ニコ〇コ動画にてテイルズオブレジェンディア(以下TOL)のプレイ動画なるものを発見TOL自体は結構前にクリアしていたので、懐かしくて見たのですが…不覚にも泣いてしまった実はTOLは二部構成で本編→キャラクタークエストの順番なのこのキャラクエが結構泣ける話が多い因みに自分が一番泣いたのがモーゼス(cv.中井和哉さん)編モーゼスと長年の相棒だったギートとの別れのシーンがとても泣けるもう一回最初からしたくなったけどメモリーカードないから出来ない買わないととは思っているのだけどねまぁ、皆さんも機会があればTOLをやってみてくださいね泣けるから多分…
日記 | 投稿者 ヨシチャン 11:05 | コメント(62) | トラックバック(0)

ツカレタ

今日はーパチンコイッテキタヨー1円パチンコw友達は2000円から23000発もってったから21000の利益でてた・・・・4パチなら84000wまぁー
スゴイナ俺はー10000つかって16000だから6000の勝ちー最後に勝ち始めたからねばればもっといけたなってなことで明日はパムデスネー動画は・・・がんばったよ、やれるだけはやった!てことでそろそろネルマス
日記 | 投稿者 ヨシチャン 15:34 | コメント(0) | トラックバック(0)

久しぶりに何か近況報告的なもの含めて

と題しても、取り立ててご報告することはないですそれにしても最後の日記から約半年という時間が経過しているらしいのですが、なんとも長ったらしい時間ですね半年というのは前回の日記を書いた経緯は綺麗さっぱり思いだせませんし、そこに書かれていることも正直なんのこっちゃといった感じで、知らず知らずのうちに忘却と記憶の改変を繰り返し、今改めて過去を振り返るとスッカリ生まれ変わったような心持ちですそこで日記を読み返すという過去を閲覧する行為によって喚起させられる過去なのに新鮮、という感情はどれほど当時の自分と現在の自分との間に隔たりがあるのかを教えてくれます隔たっているわけですからそこに一貫性はありませんし、自分が変わっているということは自分の環境も変わっているということですもちろん僕の周囲に目立った環境の変化はありませんが、ものの見方が変化した、ということでつまりは環境が変化したのでしょう世界観、という言葉がありますが、これが変わるということは世界と自分が変わるということです地球を中心に天体が運行していると思っていたのが、太陽を中心に地球が自転し公転しているとなったようなものですそれまで世界の中心であった意識から、大変とるにたらない周辺的存在としての意識にきりかわります変わったのは私であり且つ私の周囲であって、どちらか一方ではなく双方ですでわ何が変わったのかときかれますと、正直何も変わっていないと思えます緩い変化は毎日それを観測している本人としては気付きにくいものですこれを確認するには、過去の自分を批判的に眺めてみることでなされるでしょう以下軽い回想wかつて「好きなものをみつけろ」「個性がどうこう」等々の魔術的言葉に翻弄されたあげく、そうしないと大変惨めになるといった脅迫観念まで植え付けられてしどろもどろしてわけがわからなくなり、「何でそんなことせにゃならんのか」と内心憤ってはいたものの、かといってそんなことを口にすれば変なやつだと思われるので適当を標語にして道化となっていた僕ではありますが、やはり合点がいきませんでしたというのも、よく人から吹聴されるそれらは、こうすれば結構良い生き方だよね、という模範解答的生き方を突きつけられそれに無自覚に巻き込まれることですので、これがご免だった僕は実存主義的な生き方に感銘を覚えますようするに私が主体的に生を彩り決断していくといったそれですマルクスは人間は己が生産したものによって自分を規定される、自分が何者であるのかは、自分の行動によって初めて見えるとしますこれはその通りで、単純に野菜なんかを作っていればその人は農家の方ですし、服をデザインしていればその人はデザイナーです人間、何だかよく分からないもの、というのを一番恐ろしく感じますから、まして自分自身が何だかよくわからないなんてまっぴらご免ですので、まずは行動ということになってきますし、行動を具体的に導くために過去を振り返り、自分のしたいことを探しだし、それを基に行動に移るわけですまたそれは個人的な考察だけではダメで、必ず他者の存在が不可欠ですですので他者を前提とした「語り」や人間関係内での「行動・活動」(労働、部活・サークル活動等)が必要なのです 自分のみで完結していては、結局それは自分の域をでないので、いっぽ自分から外れて、自分が自分にとって他者にならなければならず、それは具体的な他者との関係内によって初めて可能になるのです僕らは自分が何者であるのかという規定を生来的に所持していませんが、これは裏を返せば何者にでもなれるということを意味していますすなわち「実存は本質に先立っ」ているわけですよって世界は自分次第でいかようにも変革できることになります私が変われば世界が変わり、世界が変われば私が変わりますので「涼宮ハルヒの憂鬱」です待っていてもダメなのです宇宙人や未来人や超能力者と遊びたければ、そういう部活を創始して活動しなければなりませんし、その行動を通じてハルヒはsos団、団長となるわけであり、ハルヒがいて欲しいと思ったから朝比奈ミクルと長門ゆきと小泉君は登場したのです(実際願えば現実的に誕生するのではなく、作者本人の活動がそのままハルヒ作品であり、ハルヒは作者本人と解釈してもいいかもしれません
ですのでアニメの超監督はハルヒ)ってあれ、これって最初の魔術的な言葉じゃないのさそうです
つまり歴史を遡り僕は成る程そういうことだったのかと納得したわけです何となく直感的に頷けるものはありましたが、それでは個人的に不十分だったのでさてこれで、そうか私が主体的に人生を決定していくんだ、実存ひゃっほいとなるわけですが、ここを批判的にみなければなりませんすると、これが人間として絶対的に正しい生き方であるかどうかはまた別問題のように思えてきます東西、資本主義と社会主義が対峙した時代において西側諸国のイデオロギーとして機能した実存主義ですが、これはそうした政治的文脈においては正しいというだけであって普遍妥当性はありませんこうした考えが受け入れられるのも、現代日本が西側諸国の一員であったこと、その憲法で規定される種々の自由とそれに基づく諸制度があってのことですフランス革命から連なる人間観があるからこそこうした考えが誕生したのであって、これは多くの人に納得されるからという理由で正当性を獲得しないでしょうしかもその個人主義的な考えも、太古の昔乾き、不毛だった過酷な自然環境のなかで自己を中心に外界を変革していかなければ生きて行けなかった西欧人において、地理的な条件が一つの要因となって形成されたものです(といった内容が高校の時の資料集に書いてありました
故に自然が豊かな東洋では自然、外界と自己の結びつきが強く一体とする思考が発達し(宗教的には多神教)、西欧では個人と外界を切り離す思考法が発達した(宗教的には一神教)、と)
ですから所違えばそれは真理ではありません
日本がこれを受け入れたのも、迫り来る列強に引けをとらないよう同一化の過程として欧化政策をとったすえに、現代まで流れてきているだけのことです(こうして導入された考えをもとに我々は思考
日本において個人主義的な考えが発達してこなかったのは、考えることができなかった、のではなく、わざわざそのような考え方をする事態がなかった)
現在も原初的な狩猟生活を営んでいる人々に、実存的な生き方をしなさい、と干渉することに、果たして妥当性はあるのかときかれればないでしょうし(もっとも、グローバル経済の流れで、こうした考えが必然的に導入されるということはあるかもしれませんが)ですので、今はナンセンスととらえられがちな神といった概念を排斥することも同様でしょうある一つの考えが正しいかどうかはそれ自体では判断できず、それが置かれている諸々の関係の中でみたさいにのみ可能です自分の乗っている電車が果たして進んでいるのかどうかは、後ろへと流れて行く風景と比べることで確認できるようにそうなると例えばショーペンハウアーのいうような真理性もうなずけます過ぎ去り行く一切のものに対して不動のもの、すなわち生きんとする意志そのものそこから生じた現象としての人間が何をしたところで一切は変わらずこの意志の現象として生滅を繰り返すだけ 挫折が運命なのだから隠遁生活が最良であるこれは現在の僕らからすれば受け入れ難い、というだけのことで、それ自体が絶対的な誤謬ではありませんし、また、受け入れ難くさせているのは僕らの自由な意志ではなく、現代を生きていく上で構造的にもたらされているだけの感情かもしれませんむしろ今もっとも自由な生き方というのは、そうした隠遁生活であって、何者かにならねば焦燥感でいてもたってもいられないというのは、なんとも受動的な生き方が生んだそれであるとも言えないことはないのかもしれません(経済社会では創造し消費してくれる人間は不可欠ですので、経済発展をもたらしやすい人間の育成に実存主義的な考えを導入することは頷けます)とにかく今はそういう時代ではないのだから、との理由でこれらを排斥すれば、ますます自由もなにもあったものではありませんしそれはつまり、みんなそうしてるからそうするだけですそれは江戸時代の人々が士農工商のそれぞれの身分でそれぞれの人間になっていたことと大差ありません今は己が何者かになっていく時代だから、ただそうするだけというわけです自己を超えて行くというのは人間の本質ではありますが、それが必ずしも明確な行為や社会的立場をともなうとも限らないでしょう程度の差などは重要ではないですし、その超越の捉え方にも個人差は生じるのですからもちろん、真に何事かをせねばならないと確信する人間はこの限りではないですから、重要なのは、それが万人に妥当する絶対的なものではないということを心に留めておくことでしょう(僕なんかは自由とか主体とか耳にするとついついktkr!と邁進してしまいますので)さてここまできて、何を僕はさらに批判的にみるのかといいますと、まぁ吟味ですが、とりあえず現段階ではじゃあやっぱ分裂かな、というものです隠遁生活も捨て難いですが、それでは生きて行くこと自体がままならなくなりますので、労働はかかせませんしかし、労働によって産出したものが己を規定するとはいいますが、僕はそうして規定されるのは全的な自己そのものではなくて、自己の一部が顕在化したものでしかないと捉えます僕はかねてより仕事・労働は片手間でしかありようがないと言ってきましたが、これは最近ますますそう思います自我というものは、捉えきることがそもそも不可能なものです何らかによって規定されても、人間はそれに満足することなく自我をさらに発展していきますこれはつまり、人間には限界がないということであり、底がないということです社会学者デュルケームは、人間を「人間は、それを規制しているいっさいの外部的な力をとりさってしまえば、それ自体では、なにものも埋めることのできない底なしの深淵である
」 と言っており、ユングも、人間の自我はある一定の状態に留まる事なく、絶えず新たな心的統合にむかって自我を変革し拡大していくという事実を見て、自己(self)の概念を提唱しました確かに客観的に自分を現すためには何かを発信するしかありませんが、それがそのままその人全てではない、ですのである一定の労働をこなすだけで生きて行くことなど人間にはできないはずです(このてんを見誤ったからマルクス主義は失敗したのでは)仕事・労働のみが自分の全てを集約しており、自分の存在を現象しているならば、ユング的な対立物は労働内容=自我という構造内に統合されず、抑圧され続けることになるでしょう例えば、昔から論理的で、弁護士になった人間が、自己の元型の作用により劣等機能である感情に基づいて音楽をするよう働きかけられても、それを弁護士の仕事内では発散させることができないので、自我に統合されずに抑圧され続けることになりますはたして、このような抑圧される自己の一部は、建設的ではないから不要のものとして切り捨てるべき対象でしょうかたいていの場合、趣味としてそうした仕事に関係のない事柄は抑圧状態から解放されるのですが、ここには仕事が第一であり、趣味は息抜き、といった姿勢が多くの場合措定されていますですので多くの人は、「仕事がつらかった分だけ、は楽しい」などと言ったりしますが、これは結局、純粋にはそれは楽しくないのです少なくとも、「仕事はつらかったが、はやはり楽しい」としなければ前者は、労働の疲れを癒す息抜きとして労働の配下に位置するのですが、これを分断すべきというのが以前からの僕の考えというわけです趣味の本質は癒しではなく、たまたま労働とはならなかったが、確かな自己の一部ですこれは労働より下位にあるのではなく、等価なもののはずです社会的(経済社会)に立ち洗われる私は労働内容によって規定されますが、何も自己が顕現するのはそこだけではありません部活やサークルもそうですし、何より現代に新たに登場したネット社会というのもその一つでしょうネットに発信した内容が、自らを規定仕返すということも大いにあるはずです(ブログ、動画、ネットゲームetc)ですから、労働は労働者としての自己にすぎず、私全てではないこれが分裂ということです(より細かくみれば、友人といるときの私、趣味をする私、恋人といるときの私等々 環境と自己とによって導かれる人格)やはり仕事は片手間にならざるを得ません(怠けるということでは断じてなく)
ただシステム的に仕事に削り取られる時間が多いのでそう感じてしまうのですが、本来仕事もその他の活動も等価なものですので、絶対ではないはずです「実存は本質に先立」ちますが、その本質が一つなんてことはないでしょう(僕の大好きなミルクコーヒーはコーヒーとミルクと砂糖がなくては成り立ちません)それこそ事物の本質はただ一つ、とすること事態、先の西欧的考え方で、相対化されうるものです一つの事柄に全人格を集約させることは危険を伴いますし、先程の心理学的な人間心理の構造的観点からも不可能に近いですし、労働内容が自己に直結すれば、客観的に測定される所得などによって所得格差はそのまま人間としての格差に繋がるでしょうこれは結構な問題だと思いますので、やはり分裂させるのが適当のように思いますこうした考えと似たものを、極最近作家の平野敬一郎氏が唱えていることを知りました(新作の『ドーン』という作品で描いたらしい)氏は「個人主義」に対置させて「分人主義」となづけ、分人主義的生き方を、「私という資産の分散投資のようなもの」と説明していましたが、これには大いに賛成ですさらに「その人といる時の自分の分人が、一番「生き心地がいい」、一番「好きだ」と思っている時、その相手に、トラブルの渦中にある分人を知ってもらうべきかどうかという問題を描きました……結果としてそういう分人を今抱え込んでいるということは、客観的に相談すべきだ」客観的に相談すべきという点には大変なっとくです例えば、友人Bと一緒にいるとき、僕は結構はつらつで愉快な分人(俺T)で接していて、自分の仕事上での分人である俺Fが何らかのトラブルを抱えているときに、その友人に「実は今俺仕事でトラブルを抱えててさ…」といった調子で相談するのではなく、自分のことなのにあえて他人事のように「実はFって奴(自分)が今仕事でトラブルを抱えているらしいのだけれど」と相談するということですこうすれば心理的な負担はグッと軽減されるでしょうし、本来そうすべきだとも思います ましてや自殺大国日本ですし日本の習慣として、ある一つの事柄の結果が、そのままその人を象徴しているかのようにとらえる風潮はどうも好きになれませんと、いうように自我はそれ自体は規定することができず、平野氏の概念を借りて、様々な関係性の中で生じてきた「分人」の総体であり中心、という仮説的なものといえるかもしれません(仮説ですので変更されうる)それはちょうどユングの元型の概念がそうであるようにてことで、今までどおり分人的な生き方をしていこうかと思う、今日この頃『ドーン』を読んだわけではないので、読んでみることにします
日記 | 投稿者 ヨシチャン 13:29 | コメント(0) | トラックバック(0)

あなたが行動しないとダメです!

都議会議員の吉田康一郎さんからの返信がありました
この度は、貴重なご意見を頂き、誠にありがとうございます
私自身、今般、東京都より示された条例案には、このままの内容で賛成することはできない、と考えております
会派内の議論が望ましい方向に進んでいくようにと精一杯努力しているところですが、無理解な議員も多く、 今、皆様の「世論」という大きなご支援が是非とも必要です
ご支援の程、宜しくお願い致します
吉田 康一郎 反対集会の動画は以下で録画放送中です↓ 会場は300人以上で満員
その中には、さいとうちほ先生、とり・みき先生、すがやみつる先生、山本直樹先生の姿も
ニコニコ動画の生中継で視聴した人は 14261人でした
集会の様子は、 ミヤネ屋でも少し紹介されたそうです
論客は僕が名前を記憶している範囲ですが‥ ■竹宮惠子 漫画家・京都精華大学マンガ学部学部長 ■里中満智子 漫画家・(社)漫画家協会常務理事・マンガジャパン事務局長・デジタルマンガ協会副会長・内閣官房知的財産戦略本部本部員・大阪芸術大学キャラクター造形学科教授・文化庁文化審議会委 員・文部省中央教育審議会委員、他 ■森川嘉一郎 明治大学国際日本学部准教授、ヴェネツィア・ビエンナーレ第9回国際建築展日本館展示「おたく:人格=空間=都市」(コミッショナー) ■呉智英 評論家・日本マンガ学会会長・京都精華大学客員教授 ■藤本由香里 評論家 明治大学国際日本学部准教授 文化庁芸術選奨推薦委員 国立国会図書館納本制度審議会委員 ■ちばてつや 漫画家 『あしたのジョー』など ■永井豪 漫画家 『デビルマン』など ■お名前を忘れました 東京工芸大学漫画学科の教授の方
学部を代表して
■お名前を忘れました 全国同人誌即売会の代表の方
■山口貴士 弁護士 ■宮台真司 社会学者 ■西沢けいた 民主党 都議会議員 ■吉田康一郎 民主党 都議会議員 ■福士敬子 自治市民'93 都議会議員 ■保坂展人 社民党 前衆議院議員(次回の参議院選挙に出馬) でした
集会の中でこうありました
都の役人の答弁は、 担当がすぐに変わるため、 役人がかわれば内容も変わるので、 ほ と ん ど 意 味 を な さ な い 
規制のルールは、 条例案が成立してから決めるそうです
皆、改正案の条例文の危険性をきちんと見るべき
条例文 2週間ほど前には、 この集会の発起人である藤本由香里さんですら、 こんなバカバカしい条例が “通るはずが無い” と、考えていた
ところが、 藤本由香里さんが 宮台真司さんにメールをしたところ、 宮台真司さんは、 “間違いなく通る” という見解を示した
そこで藤本由香里さんが、 報道関係者にこの問題について訊いたところ、 たった一人しか、 この問題を知らない
知っていた人も“通るはずが無い”と思っていた
そうです
僕は、 昨年の夏から知っていて、 都議会が実のところ 石 原 の オ ー ル 与 党 であるという性質も知っていたので‥ ヤバイ‥と思っていました
2月24日に提出された この東京都青少年健全育成条例案は、 ほとんど議論も無く、 今週の19日には可決される見通しです
漫画は規制しても、 石原都知事の『太陽の季節』は野放しという、 論理の破綻した、 偏見に満ちたこんな条例を、許してはいけません! この状況を打開するには、 ひとりでも多くの人が声を上げるしかない
そして何より重要なのは、 その行動はここだけのものではない! ということ‥ 今回の規制は国政の布石に過ぎない‥ ということ‥ 今から声をあげておかなくちゃ手遅れになっちゃう‥
今、あなたが出来ることは以下です
★ パニックにならないこと
★ あなたがこの情報を、日記でも何でもいいので誰かに伝えること
★ 都議会議員の野党議員(民主党、共産党、東京生活者ネットワーク)に手紙かメールをおくること
★ メールは手紙を書くように丁寧に書くこと
★ メールには、必ず、住所、氏名、電話番号を明記すること
以上です
メールの送付先は以下を参照にしてください
都議会民主党幹部 ■酒井大史 都議会民主党政策調査会長 ■田中良 都議会民主党団長 ■大沢昇 都議会民主党幹事長 ■山下太郎 都議会民主党総務会長 総務委員会委員 (以下の方が実質的な審議をします) ■伊藤まさき(民主党) ■山口拓(民主党) ■小山くにひこ(民主党) ■淺野克彦(民主党) ■神野吉弘(民主党) ■鈴木勝博(民主党) ■西崎光子(東京生活者ネットワーク) ■古館和憲(共産党) 都議会議員さんへの連絡先は以下に書いてあります
●王様を欲しがったカエル(メールアドレスが記載されています) 民主党議員 その1 民主党議員 その2 民主党議員 その3 ●都議会共産党公式サイト ●生活者ネットワーク公式サイト ちばてつや氏ら、都の過激性描写規制に抗議
日記 | 投稿者 ヨシチャン 11:05 | コメント(0) | トラックバック(0)
<<  2010年 9月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
カテゴリ別アーカイブ
ホビダス[趣味の総合サイト]